アメリカに息づく、キャデラックという象徴 アメリカに息づく、キャデラックという象徴

culture May 22, 2017

アメリカに息づく、キャデラックという象徴

あなたは知らない、アメリカ車の真実。

Text by

渡辺慎太郎

CAR GRAPHIC編集長

高校を卒業してすぐに渡米して、アメリカの大学へ留学しました。
オハイオ州にある小さなカレッジで、期間は1986年から1989年の4年間。ちょうどその頃は、失業率の増加や財政赤字の深刻化などによりアメリカ経済が“どん底”とも言われていた時代だったけれど、80年代のハリウッド映画(「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「トップガン」など)やヒット曲(マイケル・ジャクソンやマドンナなど)がいまでももてはやされるように、その当時にはまだ、混じりけのない“良きアメリカ”が存在していました。

その一方で、自動車の世界はちょっと物騒な事態に。
安くて壊れない日本車の台頭によって、ビッグ3は業績不振を余儀なくされ、アメリカ国内の工場は次々に閉鎖。だからいつも以上に「Buy America(アメリカ製品を買おう)」の士気が高まっていたのは事実だけれど、特にキャデラックは孤高の存在でした。
裕福そうに見える学生の自宅には、必ずといっていいくらいキャデラックが止まっていたし、両親が開業医という友人の誕生プレゼントはデビル(日本名:フリードウッド・エレガンス)でした。好きとか嫌いとかにかかわらず、ある程度の社会的地位や経済力が備わったら、とりあえずキャデラックに乗り換えた方が良いというような雰囲気がどことなく漂っていたようです。

写真提供:CAR GRAPHIC

孤高の存在といえば、1987年にデビューしたアランテがまさにそうでした。
アメリカ国内でサブアセンブリーした個体を、専用機でイタリアのピニンファリーナへ空輸して、内外装を仕立てた後にまたアメリカへ空輸するという、コストとか効率を度外視したクルマで、でもそんな“浮き世離れ”がなんとなく社会に受け入れられたのは、キャデラックのバッジが付いていたからでしょう。むしろアランテは、「さすがキャデラック」とブランドイメージの向上に一役買っていました。
みんなの憧れであり、良い意味での敷居の高さが、キャデラックというブランドを形成していたのです。